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(本願寺山口別院 山口教区教務所)

   仏法は若いうちから 2012/12/25

本願寺派布教使 浅野俊榮

 ♪もういくつ寝るとお正月・・・という時節になりました。子供の頃は正月が来るのが楽しみで、待ち遠しかった記憶があります。 七〇歳に近くなったこの頃では、月日の過ぎ去るのを恐ろしいほど早く感じます。
お聖教や仏教書に学び味わいを深めたいと思うのですが、今日は暑いとか寒いとか、書斎の冷房や暖房を節約したい等と、何かと理由を付けて中々そうはいきません。その上、若い頃のように根気が続かず、何をするにも持続しないようになってきた様です。

  最近では老後をどの様に暮らすかも気になり始めました。願ってもどうなることか全く分かりませんが、将来を考えるためにもと思い、老人の介護施設を見学しました。そこで色んな状況下にある方々の姿を目の当たりにして、自分の将来の姿を重ねてみたりもしました。私どもは元気なままでは死んでは往けません。どうなるにせよ、老いの苦しみからは決して逃れることはできません。

  仏法を聴聞するのは、生きていく上での苦悩を無くす為ではなく、生の虚しさの意味を知り、その虚しさを越えた普遍の真実に目覚めること、生と死を貫いた永遠の問題を解決することにあります。それを解決できたことがご信心を賜ることで、「南無阿弥陀仏」とお念仏が申されることだと頂いております。
親戚の百歳のお婆ちゃんが、老人介護施設に入って居ます。彼女を訪ねた時に、お念仏申せるかと聞きましたら、「朝から晩までお念仏ばかりで有り難い」とのことでした。彼女は幼くして母を亡くし戦争で夫を失う等の逆縁の中で聴聞を重ね、「苦しみも悲しみも多いけど、阿弥陀様に生かされ護られ抱かれている」と、今を喜んでいます。生死の問題が解決されて老いの苦しみを超え、穏やかな心の幸せを喜んでいる姿からは、改めて仏法に触れる大切さを教えられたのでした。

  蓮如上人は、年を取れば体も思う様には動かなくなるので、元気な若いうちに仏法を嗜みなさいと仰せですが、私どもは遊ぶ暇は作っても仏法を聞く暇を作る努力は怠ります。その内にと思っている間に時は過ぎて、出歩くこともままならなくなります。そして、遂には仏法を聞くことなく、生死という人生の根本の苦悩を解決できずに、心に喜びのないただ虚しいだけの人生を終えていくのです。
間もなく新しい年、年々に老いていく苦しみは増すばかりでしょうが、仏法に触れる大切な時間を多く持てるようにしたいと思うのです。仏法に関る先師のお言葉からは、同じ言葉でも聞く度に新たな味わいが頂けます。
称名念仏

   ふと申されるお念仏 2012/11/30

本願寺派布教使 浅野俊榮

 いつ頃からお念仏申し始めたのか、いつどこでお念仏申しているのか等と、振り返ってみることがあります。小さい頃から祖母や両親に教えられたお念仏、その頃は食事の前の作法の様で、仏様にお参りせずよく叱られた記憶があります。躾の一つであったのでしょう、長じては習慣化していました。でもそれは私の信心から申されるお念仏ではなかったと思います。では何時ごろから信心のお念仏に変わったのかと辿っても、それは定かにはなりません。

 お念仏の教えを自分の事として、受け止める機会がありました。それは命に関る病を患い、死を意識した時でした。勧められるままに仏教書を読み、心に感じた言葉をノートに写し、お名号の意味を理屈の中で理解しようとしておりました。お念仏が習慣化し理屈が理解できて、手を合わせることができても、仏様の前に座り意識してお念仏申そうとしなかったら、声にはなりませんでした。

 自分の存在や命の在り様は、自分の思いとは真反対で、大自然のいのちの働きによるものである事に気付くには、更に時間が必要でしたが、その頃からお念仏の声が出始めた様に思います。それから凡そ三十年近く過ぎた今日では、何かにつけてどこでも、ふとお念仏が申されるようになりました。
挙げてみるに、朝目覚めた時、野良仕事をしている時、美味しいものを食べる時、散歩している時、風呂に入った時、床に入った時、更には、怒った後や愚痴を言った後でも、トイレの中でも等々と、日常生活の色々な場面で、ふとお念仏が申されるのです。それは、お念仏申さねばという思いからではなく、何かを感じたからでもなく、自分の存在が有り難いからでもなく、阿弥陀様の御恩を感じたからでもなく、そんな計らいを超えて、ふと口から出てくるのです。

 声というのは言葉であり、言葉はその人の心であると聞いたことがあります。私がお念仏申そうと思わなくても、阿弥陀様のお心が先に働いて、私の口から声となって出るのです。南無阿弥陀仏という言葉は、即ち「必ずお前を助けるから、私にまかせなさい」という阿弥陀様のお心です。そのお心をそのまま聞き受けるのがご信心を頂くことです。
蓮如上人は、ご信心を頂いた後には、寝ても覚めても命のある限りは御恩報謝のお念仏を申しなさいと仰せです。しかしながら、出るお念仏は、どう考えてみても私の御恩報謝の思いからではなく、阿弥陀様からの働きとしか思えません。阿弥陀様の一方的な願い・心が、凡夫の私の上に表れているのです。  
称名念仏

   生まれた意味を問う 2012/10/30

本願寺派布教使 浅野俊榮

 十月の半ばのこと、飴を噛んでいたら差し歯が折れてしまいました。その一週間後には中学校の同期会に出席する予定がありましたので、直ぐに歯医者に行ったのですが、治療が長引き歯の無いままで出席しました。自分の歯が悪いと人の歯までが気になりました。
自分が気にしている事については、友達はどうなのだろうかと思うものです。この年になると同級生との間では、年金の事、病気や健康や薬の事、そして誰々が亡くなった等々が主な話題となって、若い頃の様な会社や仕事の話題は殆どありません。

 総じて健康や老後が最も気になる事の様ですが、友達より自分の方が良いと思えば、どこか安心を覚える程度の世間話です。死についても話が出ますが、友達の死は話しても自分の死は他人事にしています。こんな話もあります。私に、みんなを送って、お前は最後に死ねば良いと言うのです。その言葉の奥には死んだ後、僧侶に読経してもらえば成仏できる位の思いがあるのでしょう。死の解決がなくて不安を感じないのでしょうか。

 科学万能の現在では、人は死んだらゴミになる等と平気で話している知識人が多くいます。その人達は体がゴミになれば命もゴミになると思っているのでしょう。科学や技術という人間の知識や知恵では決して解決できないのが命の問題です。命がゴミになる人生には、命の本当の輝きは無いと思います。
世間の考えでは、夢を成し名を残し地位や財を成すことを良しとしますが、自らの死を問い解決のない人生は、どれだけ成功しても無駄な人生を過ごした事になると思います。

  私達の一生では、死の支えにならないものばかりを求め続けていきますが、それでも不幸や悲しみを縁として世の無常を感じ、人間として生まれてきた意味や死の意味を問う機会に必ず出遭うものです。そして、宿業を縁として生まれ、作る業によって死後も流転していく苦しみが明らかになれば、流転の迷いから逃れたいと切望します。
その為には阿弥陀佛の願い(南無阿弥陀仏)が起こされた理由を聴聞し、自らが存在する真実の相に目覚めて、その願いに自らの命をお任せする事です。お任せして生きる事は、死が明らかになった事です。死が明らかになれば、生きる事が明らかになります。命の在り様に気付いた喜びの生活は、御恩報謝の営みとして家庭や社会と深く関り、飾らなくてもそのままで、自らの命が輝くことになるのです。生まれ難い人間に生まれてきた意味をよくよく考えてみたいものです。
称名念仏

   墓標の役目 2012/10/31

本願寺派布教使 浅野俊榮

 九月の中旬になって、超大型台風が過ぎ、やっと秋を感じるようになりました。そして秋の彼岸、彼岸花が咲きはじめました。彼岸の時期だからでしょうか、新聞に墓標についての記事がありました。また最近では、東日本大震災を契機として、「絆」という言葉が多く聞かれるようになりました。絆という言葉からは、お互いの関係を結び付け助け合う温もりのイメージを受けます。しかし反面、お互いの関係を縛り付け、時にはその縛りから離れたくても逃れられない苦しみを感じることもあります。

 先の新聞記事の大意を引用してみます。ある霊園では、メッセージや好きな言葉を刻んだ墓標が交じり、一寸違った雰囲気になっている。それは英文字であったり、空や絆、感謝や笑顔などである。故人が生前に望んだ言葉もあれば、遺族が故人の人柄を反映させたものもある・・と、書いてありました。 時代が変わり個人の宗教感覚が変わり、墓標の形も変わり、従来の南無阿弥陀仏や倶会一処などは、時代遅れになったのでしょうか。

 お経は仏様の願いや誓いが説かれたものであって、決して人間の願いや思いではありません。人間の世界を超えた悟りの世界を、人間の言葉で説いたものですから、表現にも限度があり分かりづらいことが沢山あります。 南無阿弥陀仏を私達の言葉にすれば、「弥陀に任せよ、汝を必ず救う」ということです。それは凡夫を迷いから護り、煩悩から解放して、浄土へ渡すという阿弥陀仏の願いなのです。そして、「お浄土で再び出会える」という倶会一処の妙果を頂くことです。墓標に刻まれた南無阿弥陀仏や倶会一処は、人間の知識や知恵を超えた阿弥陀仏の悟りの智慧が、私達に喚び掛け働いているすがたです。

 その仏智を頂くこと、それはご信心を頂くことです。ご信心を頂けば、自ずとお念仏が申せます。そのお念仏を子供や孫や有縁の人達に伝えたいという思いが湧いてきます。死してなお、その思いを子孫に伝え様としているのが、墓標の役目の一つの様に思います。 例えば「絆」という墓標の言葉、そこから私が故人を偲べても、私のいのちを救う働きにはなりません。墓標の形はどうであれ、墓標に仏様の言葉を刻むことは、仏様の願いを子孫に伝える私達の役目の様に思うのです。 時代は変わり墓標の形は変わっても、阿弥陀仏からの喚び声・南無阿弥陀仏は、普遍の真実の言葉で私達のいのちを救う言葉です。人間の如何なる言葉であっても、それによって私達(凡夫)が救われてお浄土へ参られることは決してありません。
称名念佛

   命の根源を問う機会 2012/10/31

本願寺派布教使 浅野俊榮

 誕生日を迎えて六十六歳、高齢者と呼ばれる抵抗感も薄れてきました。この頃思うことや感じることをお話して見たいと思います。 誕生日は、男の私には分かり得ないところですが、母が自分の命の危険とお産の苦しみの中にいた日です。若い頃には、その様な事まで考えたことはなかった様に思います。年を重ね父母とも亡くなった今では、誕生日は父母を思い出しながら、命を頂き育てられた感謝と喜びを、静かに味わう特別な日になってきた様です。

  私達は父母を直接の縁として、祖父母、曾祖父母・・・と限りない先祖、そして宇宙万物と連関した中で、生命を頂くのです。例えば、蜘蛛の巣を360度回転した様な無限な結び目の中心にいるのが「私」で、その結び目の一節一節が私以外の森羅万象に相当します。それらの一つ一つに視点を転じれば、それぞれが中心の存在になります。私達は、虚空と言われる無限の空間と時間の中で、連続無窮の縁起の働きによって、一人ひとりが尊い命を頂いて生きているのです。

  妙好人と言われた浅原才一さんの詩を引用してみます。才一さんは、自分に自問自答しております。「才一はどこにおるか」、「私は世界虚空の中にいます」、「世界虚空はどこだ」、「世界虚空は私の親の姿です。私は私一人でおりましたが、今はこの親の方にとられております」と。
この虚空というのは、何もない空間ということですが、一般に言う天空・宇宙のことではありません。無限で変化なく、どこにも普遍して存在し、一切の事物を包容してその存在を碍さないものです。要するに私達のいる大宇宙(相対の世界)を超え包んだ絶対の世界のことでしょう。絶対の世界とは、色もなく形もない無限の世界、光明無量・寿命無量の世界、阿弥陀の世界です。

 私達は母の胎内に宿った時から命が始まった様に思いますが、実は無限の過去から阿弥陀の世界の中に、命が宿されていたのです。私達の命の元々の親は阿弥陀様です。才一さんは、孤立した私ではなく、阿弥陀様に包摂された私であることを教えています。 誕生日は生まれた事を唯祝うだけでなく、自らの命の根源を問う機会でもあります。私達は、現在のみならず遠い過去から永遠の未来に渡って、阿弥陀様に包摂されていることに気付かずにいます。それに気付いて私の全てを安心して阿弥陀様にお任せするところに、救われていく世界を得て、感謝と喜び、報恩の思いが生まれます。それが南無阿弥陀仏です。自ずとお念仏が申されます。
称名念佛

   心のエイジング 2012/8/28

本願寺派布教使 浅野俊榮

 エイジングという言葉には、老化するとか熟成する等の意味が有ります。またアンチ・エイジングという言葉もあり、直訳すれば老化に対抗するということでしょうか。
近年、健康食品や化粧品関連の宣伝が、色々なメディアで多くなった様に感じます。アンチ・エイジングは、それらを服用したり使用したりして、年齢より若く元気に美しくなろうということの様です。年を重ねても若々しく元気で美しいことは、人間の根本的な願いの表れだと思います。私自身にもそう在りたいと思う心が有るのは確かです。

 いつも不思議に思うのですが、幾つになっても気持ちは、十七・八歳の頃の様です。しかし、年を重ね体のあちこちに思いもかけない変化をふと発見して愕然とします。そう感じることは誰にでもある様に聞きます。心の思いと違った体の老化、つまり心と体のギャップが、アンチ・エイジングの思いを強く引き起こすのかも知れません。

 お釈迦様は、この世に在るものの在り様を諸行無常、諸法無我と説かれました。この宇宙に存在する万物は、相互依存し時間と共に変化していく「無常」なもので、何者にもそのものの実体は無いという教えです。
私自体も様々なご縁によって時々刻々と変わり、先ほど迄の私と今の私は違った私になっています。あるカレンダーの標語に、『変わるから寂しい、変わるから嬉しい』とありました。年を取るに従い、親しい人達との別れが多くなり、白髪や皴、たるんだお腹を見るとたまらなく寂しく感じます。
でも変わるからこそ、子供や孫が生まれ成長を喜び、自分の事は差し置いても、目標をもって働き頑張る気力が出て来るのだと思います。

 私どもは変わり行く自分を忘れて、健康や若さや美しさ、そして名誉や地位、財力等を求め続けます。自分中心で自分の意に添わなければ、怒り愚痴り恨み妬みます。
大切な人の死に会っても自らの死には背を向けています。そんな生き方の中で、「この私とは一体何者なのか」を、自分に問うた事があるでしょうか。自分の在り様を深く問うていくと、誰一人として代わる者もなく、こだわり求めた全ても知識もこの身さえも浄土往生の力にならないことを深く知らされます。「凡夫」でしかなかったと知らされます。
浄土往生のことは任せなさい(南無阿弥陀佛の大意)という阿弥陀様のお救いは、凡夫に目覚めた「私」が対象なのです。凡夫で在る事に早く目覚めて、心のエイジング(熟成)をしながら、行き過ぎず偏らずアンチ・エイジングが楽しめれば良いと思うのです。
称名念佛

   聞き始めはノイズ 2012/8/28

本願寺派布教使 浅野俊榮

 英語の「ノイズ」は、騒音と訳されていますが、私には、それからは何も情報を得ることが出来ない雑音という感覚があります。
数年前に韓国を旅行しました。隣の国でも、私は韓国語を勉強したことがありません。韓国に着いて、話す声と書かれた文字の全てが分らず、情報の無い雑音の世界にいる思いがしました。中学校から学んだ英語は、耳の底にいくらか馴染んでおり、時折でも会話の意味が分れば、そこに自分の場が在る様で、どことなく居心地が良くなります。

 言葉や文字の全く分らない国に行くと、楽しむよりもストレスが溜まってきます。韓国の地下鉄で切符を買う時に文字が読めず、旅行ガイドブックの文字と、行き先表示画面の文字の形を比較している内に、表示時間切れで表示が消えてしまいました。どうにもならず困っている時に、側で見ていた韓国の青年が、日本語で教えてくれて助かりました。

 「凡夫」という言葉がありますが、それが自分の事だと自覚している人は極めて少ないのです。親鸞聖人は凡夫について次の様にお示しです。『凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず』と。 (注釈版聖典、693頁参照)
要するに私どもは、息を引き取るまで、全てに自己中心の我利我欲で、真実の心は欠片ほども無く、浄土往生に役立つものは何も持っていない存在だということです。しかし、そういう存在であることに全く疑問すら持たない私どもは、どれだけ聞かされても「そうだった」とは、中々気付けないことなのです。

 中国人の同僚とロシアに行った折に、街を歩きながら私が「外人ばっかりだね」と言うと、「外人は僕達ですよ」と言われました。その時まで、自分が外国人だという意識はなく、その一言で私は日本人のままで外国人なのだと気付いたのでした。すでに日本を出発した時から外国人になっていたのです。
阿弥陀様は自分が凡夫だと気付いていない私どもに、「凡夫よ、目を覚ませ」と声かけをしておられます。其れが南無阿弥陀仏です。
聴聞を重ねても、自分が「凡夫」であることには中々気付けません。聞き始めはノイズに聞えますが、聴聞を続ける内に、それとなく馴染んで、いつかきっと「そうだった」と頷ける時がきます。その時が、凡夫であることが疑えなくなった「凡夫」に変えられ、同時に凡夫をこそ救うという阿弥陀様の願いが、疑えなくなったときです。
称名念佛

   不思議なこと 2012/6/25

本願寺派布教使 浅野俊榮

 五月二十一日は、日本中が金環日食で沸いた日であり、また親鸞聖人のご誕生日でもありました。今回の天体ショーは沖縄、九州から東北南部にかけて、日本の広い範囲をカバーしました。飛行機から特殊な観測用グラスを通してテレビ画面で見た金環は、真っ暗な天空に浮かび輝く美しいものでした。
それは、一億五千万kmの彼方にある太陽と新月と地球とが演じた現象でしたが、ある動物園では猿が落ち着かない行動を取ったそうです。太陽が変化するこの美しい現象も、その理由の分らない生き物達にとっては、ただの恐怖に過ぎなかったのかも知れません。

 この度の様に日本の広範囲で観測されたのは、九百三十二年ぶりのことで、次は三百年後だそうですから、私達には貴重な体験であり歴史に残る巡り合せでした。金環日食のデータを調べて見ますと、親鸞聖人のご誕生の年、千百七十三年にも起きており、そして三百年後は四月八日で、お釈迦様のご誕生の日に当ります。何と不思議な巡り合せです。

 人間に生れることは大変に難しいことで、人間に生れても仏法に遇えることは更に難しいことだと教えられていますが、私が現に人間に生れ更に仏法に遇えたことは、不思議な出来事と感じております。金環日食を見た多くの人のうち、どれだけの人が自分の存在を不思議な事だと感じたでしょうか。
広大な宇宙空間で演じられた天体ショーは、不思議な出来事の様ですが、人知によって計算されるものですから、凄い事ではあっても不思議な事ではありません。一方私達は、自分自身が自分の計らい通りにならない不思議な存在である事に気付いていません。そして必ず命の終わりが来ることも人ごとにして、命の不安を解決するでもなく、科学的に実証できないからと言って「佛」の存在を否定して、平気で日暮をしているのです。

 親鸞聖人のご誕生年やお釈迦様のご誕生日が金環日食と重なる巡り合せは不思議なことで、遠い過去から現在そして永遠の未来に渡っての、自分の命の在り様を考えるご縁になります。この宇宙の中に存在するあらゆるものの一つ一つは、不思議な広大な図らいの中で、相互に関連して存在しているのです。
時間的空間的に無限な世界を阿弥陀と称し、その働きを人格的に表わして阿弥陀佛と申します。小賢しい私の計らいを超え包んだ広大な図らいの中に、今私自身が在ることに気付き目覚めて、この私をおまかせするのが阿弥陀佛に帰依することだと思います。南無阿弥陀仏は、命の不安から私を救い、浄土に渡して下さる有難い不思議なはたらきです。
称名念佛

   知魚楽が教える気配り 2012/6/25

本願寺派布教使 浅野俊榮

 私は古い火鉢に水を張って金魚を飼っています。その金魚は餌をやる時に、嬉しそうに尾ひれを大きく振って水面にやってきます。ある時、私は荘子と恵子の問答が書かれた紙片を入手しました。それには「魚が泳いでいるが、これが魚の楽しみであろう。」、「君は魚でないのに、どうして魚の楽しみが分るか。」、「君は僕でないのに、どうして僕の認識が分ろうか。」と書いてあります。この問答は「知魚楽」と題されていますが、深い意味が含まれている様に感じるのです。

私どもは、人から悩み事などを相談されると、「貴方の気持ちは良く分る・・」等々と申します。よく分ったつもりなのですが、よくよく考えてみれば、本当に話される人の心の内が、そのまま認識できたかどうかは疑問です。私どもは言葉を用いて自分の気持ちを伝えますが、私は貴方ではなく貴方も私ではありませんので、相手と同じ認識をしているかどうかを知る術がありません。

全てのものが刹那刹那に変化し、不変のものは無いと言うのが縁起の教えで、私自体も変化しています。とは言っても最前の私も今の私も同じ私ですから、そこには継ながりが必要になります。私どもの心の最深部には、今迄の私の経験全部を収蔵するアーラヤ識というものがあり、そこからまた次の私が生じるという、刹那刹那に連続して繰り返される「私」の継ながりがあるのだそうです。
このアーラヤ識は、人夫々に過去の経験が違う固有のものですから、荘子と恵子が同時に同じ魚の動きを見て認識が違っても、それは不思議なことではないと思います。

私どもは深い悩みを、同じ様な経験をした人に話せば楽になると思うのですが、決してそうではない事をしばしば経験します。私どもには元々、人の心を見通す力はありませんし、認識の違う相手の言葉からは安らぎを得ることはできません。
阿弥陀様は法蔵菩薩の時に、私どもの深い苦悩を見通されて、それを自分の解決すべき課題とされ、あらゆる衆生を救いたいと誓われました。阿弥陀様は「わが名を呼べ、必ず救う」と、私どもに働き続けておられます。私が深い悩みの中で申すお念仏は、私の苦悩をお見通しの阿弥陀様に聞いて頂くことです。阿弥陀様のお智慧を頂くことで、苦悩自体が消えるのではなく在るままで、心の安らぎを覚えるのです。私どもお互いが、相手の心を同じほど認識するのは難しい事ですが、そこは相手の思いを感じ配慮する気配りが必要なのだと思います。昨今、私どもは其れを忘れているような気がします。
称名念佛

   心の正体を教えられる 2012/6/25

本願寺派布教使 浅野俊榮

 私はここで戦争の是非や善悪を話すつもりは毛頭ありませんが、最近のこと、昭和十二年十一月の杭州湾敵前上陸を縁として、改めて感じ教えられことがありました。
仕舞い込んだ物を探して、天井裏にあった箱を開けたところ、亡父の金鵄勲章が出てきました。戦争で軍功のあった生還者に賜った勲章と聞きます。私には、父が杭州湾敵前上陸に参戦して賜ったこの勲章を、誇りにし大切にしていた記憶があります。

父からは部下に火野葦平がいた事を聞いておりました。以前のこと、彼の著である「土と兵隊」を求めて読んだことがあります。その冒頭に、この本の内容は杭州湾敵前上陸の記録であると書いていますので、当時の父の心理状態や戦闘状況が分る思いがします。父は戦闘で二箇所に被弾したのですが、評価に値する軍功を立てたのだと思います。
戦争では、国家の命令に従う事が善い事で、個人の善悪の判断は許されません。戦闘という非常事態では、大量の敵兵を殺傷する事が善い事になってくるのです。

歎異抄から親鸞聖人のお言葉を借りてみます。「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と仰せです。過去世で結んだ因縁(宿業)によっては、どんな振る舞いをするか分らないのが人間の在り様だと教えられるのです。
私どもは気付かないだけで、人夫々に宿業を負っています。人を殺してはならないと思っていても、宿業があれば殺してしまうこともあるのです。父の様に戦場で多くの敵兵を殺傷したことは、どんなに殺傷したくなくても国家の命令に従い、戦争の名の下にそうしなければならなかった、それが父の負った宿業だったのです。その父の因縁がなかったら、父を縁とした私の命もありませんし、軍功が法縁となって、私の心の正体を教えられることも無かったことでしょう。

人間は悪い事をしようと思ってするとは決っていません。したくなくてもしてしまう、それが私の心の正体だと教えておられるのです。宿業がもようしたら、何をするかわからない、何でもしてしまうのが私の真実の姿だったのです。それにも関らず私は、自分を確かな存在と信じて世間の善悪を分別します。自分の心の正体には気付き難く、南無阿弥陀仏の不思議な働きには尚更のこと目覚め難い頑固な存在です。色々な出来事をご縁として、救われ難い自分の姿に気付かされる時、私の全てを引き受けてお救い下さる南無阿弥陀仏の不思議な働きが、ただ頼もしく有難くお念仏申されるのです。
称名念佛

   インフルエンザを機縁として 2012/6/25

本願寺派布教使 浅野俊榮

 寒さが峠を越しても、インフルエンザの流行はしばらく続きそうです。我が家でも次々に感染しましたが、幸いに皆が予防接種を受けていたせいか、罹ってもひどくならずに済んでおります。私も少し風邪かな?と思った程度で今のところ大丈夫なようです。
高血圧症と言われていた家内が、朝から頭がふらつく感じがすると言って、掛りつけの医院に行きましたが、血圧ではなくインフルエンザの影響だと言われたそうです。その日の夜に、幼稚園の孫娘が高熱を出しました。

 こんな時は、やはり「婆」の存在は大きいもので、熱のある孫娘を具合の悪い婆が抱いたり頭を冷やしたりしておりました。母親は婆に任せ切っている様子でしたが、私の方は肺炎にでもなっては大変と思い、病院へ連れて行けと怒鳴っておりました。しかし経験の多い婆と母親は、慌てるでもなく解熱の座薬を使って様子を見ているのでした。翌朝、当の孫が、お早うと言ってやって来ました。

 家内と孫娘の二人を見ていて、二人が同時に、急を要する事態になったら、どちらを先に助けるだろうかとひょっと想ったのです。
例えば私は次の様な思考をしていました。孫には長い将来があるが、家内にはそれ程の先はない・・。孫は私が患っても面倒は見ないだろうが、家内には私の世話をしてもらいたい等などです。家内か孫か、どちらを選択するかは大変難しい事ですが、インフルエンザを契機として、色々な状況を想定する中に、常に「私」が判断の中心になっている事を知らされました。

仏教では、自分の存在を無視できない「私中心」の思いを、煩悩の働きだと教えます。私どもは何時も、自分の心地良い様に思考し行動し、その様にならなければ怒ったり愚痴ったり悲しんだりして、生きている限り際限なく、自ら苦しみを作り続けていきます。
あらゆる苦しみの本当の解決は、佛智によらなければ、世間の知恵や知識、癒しでは出来ません。南無阿弥陀仏のお心を頂くのが佛智を頂くこと、私の根底から素性を知らされることです。それによって私は、私中心でなければ生きていけない、往生の道が閉ざされている自分を悲しむと同時に、阿弥陀様の必ず救うというお誓いに、私の「いのち」をお任せする安堵の慶びを感じるのです。
死ぬまで煩悩が除けない私です。起こる事象自体には苦しみはありませんが、事象を受け取る私の心が苦しみを作り出します。人生、何でも起こります。いつ何が起こっても、佛智(念仏)に支えられて、苦しみを乗り越えてゆける私でありたいと思うのです。
称名念佛

   どうしようもない私 2012/6/25

本願寺派布教使 浅野俊榮

 親鸞聖人の七五〇回大遠忌ご正当法要(例年は御正忌報恩講という)も終わりました。本願寺手帳にはこのご法要の意義を、『宗祖親鸞聖人のご苦労をしのび、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のお救いをいただくことをあらためて心に深く味わわせていただくご法要』と記しています。
私は毎年この手帳を使っていますが、此処までは読んでおりませんでした。ご法要の意義も分っているつもりでお勤めして来たのですが、この文言に触れて改めてご苦労をしのべば、「申し訳ありません」としか言いようのない自分の姿に気付かされます。

親鸞聖人のご苦労は、生死出づべき道(それに依って生き、そこに帰るが如く死んでいける道)を求められるご苦労、ご流罪のご苦労、ご教化のご苦労などと枚挙に暇が有りません。かつての私は、それらを聞いたり読んだりして分ったつもりでした。また、一筋に求められた生死出づべき道を、世間の知識や知恵で理解しようとしていました。

 「まかせよ、必ず救う」という阿弥陀様のお誓いを、疑いなく信じて念仏申せば、煩悩だらけの私がお浄土に生れ仏の悟りを得させて頂くのですが、念仏申せと聞かされても、其れが素直に出来なかった私がいました。
南無阿弥陀佛(名号)の意味が知りたい、その意味を事実として認識できないか等と生意気な考えで、あれやこれやと仏教書を捜し求めた時がありました。一つ一つの文言にこだわり、科学的な表現に置き換えてみたりもしました。名号の働きを世間の知識や知恵で考えても、結論が世間を超えることはありません。私がまだ阿弥陀様のお誓いを疑わない様に努めていたのであって、お誓いを疑えなくなるには時間が必要でした。

当分の後に前住職から、凡夫が念仏によって往生するのは、他でもなく阿弥陀様の願いに順じるからである、と教えられたことがありました。死を意識した過去の逆縁や日頃の生活における自分自身の姿を、深く教えに問うていくと、自己中心で煩悩が服を着たような私、阿弥陀様の願いに順じる他には浄土往生の手立てが全く無い私がありました。そしてそんな私であるが故に、救いの道が用意されていたことに頷けたのです。それには迷いの考察と前住職の示唆が必要だったのです。
親鸞聖人が法然聖人から教わった「彼の佛願に順ずるが故に」という文言は、遠く中国の善導大師の教えです。それが長い時間を経て私に届いたのは、親鸞聖人のご苦労が私のためだったと頂いても、それを忘れてしまう様な、どうしようもない私がいたのです。
称名念佛


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